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2026年3月

「学習評価」は何のためか

渡辺 敦司

 

 3月30日に開催された中央教育審議会の総則・評価特別部会(総則部会)で文部科学省事務局が学習評価の「具体的な検討項目と検討の方向性」を提案し、おおむね委員の賛同を得た。学習評価を巡っては1991年の改訂指導要録で観点別評価に「関心・意欲・態度」が導入されて以来、評価材料の収集で学校現場の負担感が問題になっていた。次期学習指導要領での評価は、どうなるのだろうか。そこには「学習評価とは何か、何のために行うのか」という根本的な問題提起が含まれている。

学・人を「見取る姿」で思・判・表に反映

 現行指導要領では資質・能力の三つの柱のうち学びに向かう力・人間性等(学・人)の評価について、感性・思いやりなどを除いた「主体的に学習に取り組む態度(主態)」を▽粘り強さ▽学習の自己調整―の2側面から3段階で評価する目標準拠評価(絶対評価)を行っている。しかし、学・人そのものが2側面で構成されているかのような誤解が広がるとともに、依然としてノート提出の頻度や挙手の回数などが評価材料とされるような実態が続いていた。

 これに対して昨年9月の教育課程企画特別部会(企特部会)「論点整理」は、学・人の要素を①初発の思考や行動を起こす力・好奇心②学びの主体的な調整③他者との対話や協働④学びを方向付ける人間性―の4要素に再整理。その上で目標準拠評価ではなく教育課程全体を通じた個人内評価に改めて総合所見欄等に反映させるとともに、具体的に見取ることができる要素が特に表出した場合は思考・判断・表現(思・判・表)の観点別評価に「〇」を付記するよう提案していた。ただし後者について、○印を思・判・表の評定に加味するかどうかで意見が分かれていた。

 事務局案では、学・人のうち「学びを方向付ける人間性」を除いたものを「学びに向かう力の3要素」と名付けた上で、3要素を教師が見取るための具体的な児童生徒の姿を「見取る姿(仮称)」として教科ごとに示すとした。イメージとして中学校数学を例に▽事象に知的好奇心や目的意識をもって問題を見いだし、数学を活用しようとしている▽他者と数学的論拠に基づいて協働し、問題解決を進めようとしている▽問題発見・解決の過程を振り返って評価・改善しようとしている―といった姿を挙げている。 国が示した「見取る姿」は各学校でそのまま活用できるとし、独自の着眼点は求めない。

 一方、現行で各学校が「内容のまとまりごとの評価規準」を作成した上で「単元の評価規準」を作成するとしていることについても「分けて設定することの意義に乏しい」として、単元の目標をそのまま評価規準として用いることにする。 これらによって、学習評価のスリム化を図りたい考えだ。

 評価イコール評定の固定観念?

 こうした学習評価の改善は、もちろん現場の負担を軽減する狙いもある。それ以上に重要なのは、あくまで「育成したい資質・能力を目指して指導と評価を一体的に構想する」(事務局案)ためだ。背景には「学習評価のほとんどが評定に向けて行われることが多い」(論点整理)実態がある

 それが端的に表れているのが、事務局案にある「形成的評価の充実」だ。改訂に際しては、解説で「総括的な評価」の頻度の必要に応じた見直しと「形成的評価」の計画的位置付けについて明確化していくべきだとしている。

 学習評価というと、どうしても指導要録に評定を付ける必要から、評価時点で児童生徒を「値踏み」することが優先されがちになる。しかし日常での声掛けなども立派な形成的評価であることは、言うまでもない。その上で、より資質・能力の確かな育成につなげる授業改善に生かすことが重要だ。

 いまだに通知表を廃止する学校のニュースが大きく取り上げられるほど、学習評価イコール評定という固定観念が世間には根強い。実は大なり小なり、教師も例外ではないのではないか。今回の改訂を契機に、学校評価の意義も根本から捉え直される必要がある。

 それには保護者の意識を変えるだけでなく、評定が選抜資料の大きな比重を占めるような高校入試などの在り方も抜本的な見直しが必要だ。論点整理も「多様な選抜方法の拡充」を求めたものの、3月時点で本格的な議論は行われてはいない。中教審以外の会議体である「高等学校教育の振興に関する懇談会」も同25日の第3回会合で「高等学校入学者選抜について」が議題に上がっていたが、他の議題二つに時間を取られて次回送りになった。

 事務局提案にしても「精緻に構成されている」評価が本当に改善されるのか、まだまだ検証の余地はあるだろう。あくまで学習評価は、個々の子どもたちのためにあるということを忘れてはいけない。

(教育ジャーナリスト)