2026年7月

「標準時数と資質・能力、学習内容」

渡辺 敦司

 

 学習指導要領の改訂を検討している中央教育審議会の「各教科等の専門部会等」が、ヤマ場を迎えている。総則・評価特別部会(総則部会)では8日の会合で情報の新教科・領域に必要な授業時数が示され、22日の会合では審議まとめ案の修正に主査一任を取り付けた。教科等ワーキンググループ(WG)は29日の社会・地理歴史・公民WGと30日の情報・技術WGを残すのみとなった(本稿執筆時点)。司令塔役の教育課程企画特別部会(企特部会)への報告を経て、いよいよ教育課程部会の「審議まとめ」とパブリックコメント(意見公募手続)に向けた作業が本格化する。

具体は「文科省」の作業に委ね

 「年間の標準総授業時数を現在以上に増加させない」というのは、2024年12月の大臣諮問以来の大前提だ。その上で情報・技術WGの議論を受けた総則部会は、小学校「総合的な探究の時間(改称予定)」に設ける「情報の領域」に学年最大で30ないし35コマ程度、中学校に新設する「情報・技術科」に同70ないし35コマ程度が必要だとの判断を示した。 中学校は技術・家庭科の技術分野分があるとはいえ、純増分はどこかから捻出する必要がある。総則部会は年間35コマ以下のものを除いた各教科等から「一定の割合で時数を減じる」ことを提案するにとどめ、具体的な「実数」は企特部会に委ねた。

 ところで時数の問題は、そうした足し引きの話だけではない。そもそも世界的な課題となっているカリキュラム・オーバーロード(教育課程の過積載)に対応するため「各教科等の中核的な概念等を中心とした、目標・内容の一層分かりやすい構造化」と、単位授業時間や年間の最低授業週数の示し方による「余白」を生むことも、大臣諮問が要請した検討事項だった。

 内容の整理・精選について、総則部会の審議まとめ案は「各教科等WGの取りまとめで示された基本的な方針を踏まえつつ」①情報活用能力の抜本的向上に要する時数の確保に向けた標準授業時数の減に対応する観点②「統合的な理解・総合的な発揮」の獲得に向けて「主体的・対話的で深い学び」の実現を図るための余白を十分に確保する観点③教科等の本質的な理解に資するとともに、調整授業時数制度を活用した教育課程編成を可能とするための教科書の精選に資する観点――から文部科学省で引き続き検討するとした。

 その際に重要なカギを握る統合的な理解・総合的な発揮にしても、教科等WGの案を「パブリックコメントにおける様々な意見を踏まえつつ」文科省で告示案に向けて修正を加えていくとしている。

 なお昨年10月の総則部会以来「知識・技能に関する統合的な理解」「思考力・判断力・表現力等の総合的な発揮」の総称とされてきた「高次の資質・能力」は、審議まとめ案で「用いないこととすべきである」と断定された。「学校現場には単に『レベルの高い高度な資質・能力』として受け取られる等の誤解を招く懸念もある」というのが理由だ。

 「統合的な理解・総合的な発揮」と内容の在り方という改訂の肝となるはずの議論は結局、文科省に「丸投げ」した――と評したら、厳しすぎようか。もちろん起案したのは文科省事務局だし、告示は準法令文書として文部科学相名義で行うものだから当然といえば当然かもしれないが。

SNSの「誤解」に教育関係者も?

 ところで22日の総則部会では情報の新教科・領域に必要な時数の捻出方法について、SNSでは「国語と算数・数学」のみ授業時数を削減するとか、調整授業時数制度を使うといった「誤解」や「勘違い」が流布しているという指摘が委員から相次いだ。しかも「教育関係者がそこに加わっている」というのだから無視できない。

 今回の改訂は、審議過程がすべてオンラインで公開されていることも特徴の一つだ。しかも教育委員会、とりわけ指導主事にも視聴を呼び掛け、検討段階から改訂方針の正しい理解を促したい考えだった。

 先の「教育」関係者に「教委」関係者までもが含まれているかどうかは定かではない。報道やSNSベースでしか審議状況を把握しない一般教員には「国語と算数・数学などを削減」の「など」を読み飛ばすような早合点をしたり、うのみにしたりすることもあるだろう。総則部会での議論にもあった通り、まさに今回の改訂の目玉である情報活用能力の「メディアリテラシー」問題に関わる。

 ただし内容削減が依然として具体的な姿を現さない現段階で、これを報道の問題だとか「伝言ゲームの失敗」に帰するだけでいいのだろうか。パブコメを契機に「ゆとり教育批判」が再来しないか、委員ならずとも心配になる。 

(教育ジャーナリスト)