Vol4:映画を教育に生かす(2020.11.9)

映画を教育に生かす

 『鬼滅の刃』が社会現象を起こしている。日本映画史上観客動員、興行収入全てにわたって記録ずくめになっている。兄姉愛、鬼になった妹を人間に戻すために戦うアニメであり、成長していく自分づくりを目の当たりにして世代を超えての人気になっている。
 本稿では、『映画を教育に生かす』ための2編について紹介しよう。
  
『ソロモンの偽証』
  宮部みゆきの小説を映画化。「中学校裁判」を中心に、さまざまな問題のある中学校、特に暴力的な生徒への対応を描く。その中で不登校の生徒が学校敷地内で死んでいる姿を目撃した女子生徒が、中学生による学校内裁判という形で真相を明らかにするのである。
 劇中、2年目の担任教師が「(自分は)生徒と向き合うことができなかった」と退職の理由を述べる場面や、管理職以外の教師と向き合っていない実情、そして最後に待つ予想もしない結末に「これがリアルな学校か」と感じることができる。
 教師にとっては、不登校はどこの学校でもどこの学級でも起こっている事実で、様々な対応が求められている。その対応を日常化していて、職務の一つとして捉えていても「どうして」「対策はどうすればよいのか」「自分の力量が足りないのではないか」と戸惑う実態も少なくない。映画『ソロモンの偽証』では、そのことに悩んでいた教師の姿も描いていて「生徒と向き合う」とはどのようなことだろう、どうすればよかったのだろうと考えさせられる。改めて教師自らが「向き合う」を考え、日頃の学級経営、生徒指導、進路指導の際にもあるべき姿を意識することができる映画である。

『君の膵臓をたべたい』
  高校生である主人公の「僕」は、ある日クラスメイトから山内桜良の闘病日記(共病文庫)を拾ったことから、彼女が膵臓の病を患っていることを知ってしまう。そのことをきっかけに桜良との距離を縮めた「僕」は、桜良の「死ぬまでしたいこと」につきあうことになるのだか――。12年後、大人になった「僕」が桜良とのかけがえのない日々を追憶する名作青春映画。ややグロテスクにも思えるタイトルに隠れているメッセージにも注目したい。高校時代の「僕」と桜良を北村匠海と浜辺美波が、そして12年後の「僕」を小栗旬が演じている。
 涙を流さずにはいられないシーンの連続である。そして、なかなかコミュニケーションが取れない「僕」とクラスの優等生である桜良との恋愛感情まではいかない関係性がほほえましい。(真実か挑戦ゲームなど)このタイトルの意味がやっとわかるラストシーンも必見。大人になった「僕」は高校の国語教師として生きているが、生徒と向き合えない自分に苛立ち退職を意識している。冒頭の板書の様子は意欲のない教師そのものだが、反対に最後の板書の場面はやる気に満ちた姿に転換している。一つの動きが教師としての生き方につながっている。高校生にとって友情とは何か、親友とは何かを考えさせられる。「生きるとは」そして「生きているとは」を考える絶好の映画であり、現職の悩める教師の皆さんにとって自己を振り返り、桜良が「君の日常が私の宝物になること」の意味を児童・生徒から沢山の宝物を得てもらいたい。教職志望者も現職教師、生徒も共感できる。

【映画を教育にTK】

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