Vol.31:生活科・総合的な学習の意義を再考する


 中央教育審議会の初等中等教育分科会「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実に向けた学校教育の在り方に関する特別部会」が2月7日に初会合を開催しました。次期学習指導要領の基本的方向性等を検討することが役割の一つになっているようです。

 「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実」は令和3年1月の答申で打ち出された方向性ですが、この具現を図るということでしょうか。また、新しいことが学校現場に降ろされてくると受け止めがちですが、すでにやっていることです。
 先の答申では、「個別最適な学び」を進めるため、「これまで以上に子供の成長やつまずき、悩みなどの理解に努め、個々の興味・関心・意欲等を踏まえてきめ細かく指導することや、子供が自らの学習の状況を把握し、主体的に学習を調整することができるように促していくこと」を求めています。
 また、「探究的な学習や体験活動などを通じ、子供同士であるいは地域の方々をはじめ多様な他者と協働しながら、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、様々な社会的な変化を乗り越え、持続可能な社会の創り手となることができるよう、必要な資質・能力を育成する『協働的な学び』を充実する」ことを求めていました。

 これらを一読してわかるように、この趣旨を最も体現しているのは生活科、総合的な学習の時間です。学習指導要領に示されている両者の目標を見れば明らかです。
 では、現実に答申の趣旨や学習指導要領の目標は実現できているのでしょうか。

 平成元年に小学校低学年に生活科が導入されてから34年、総合的な学習が平成10年に全面実施になって23年です。もうしっかりと定着しただろうと思っていると「さにあらず」を思わせる声を耳にし目にします。
 特に多いのが、「難しい、よくわからない」などという声、相変わらずの教師中心の一斉型授業です。そういう先生の多くはこれまでに生活科や総合を学んできていない人たちです。校内研修でやったことがないという人が多いようです。地域の教育会などの研修会にも出ていかない。
 生活科では「これまでに低学年をもったことがないので」という声も聞かれます。「総合は行事の準備や練習」「数時間の体験ですます」等でお茶を濁してすましてきた。まるで勉強していないということです。

 新採のころ、先輩に「教育会はアマチュアの世界だから、本気で3年勉強すれば、その道で一人前になれるよ」と言われたことがあります。小学校は全科だから浅く広くの世界であり、一つ深めればその道ではプロになるということでした。
 なるほど、とにかく生活・総合を勉強しない人が多い。生活・総合をいまだに「難しい、わからない」などと恥ずかしくもなく平気で言える世界なのです。
 勉強していれば「ここまではわかるが、ここから先がわからない」、「ここまではできるのだが、もっと深めるにはどうすればよいか」となるはずです。事実、そうした先生もいますが、少ない、残念です。

 生活科・総合的な学習には他の教科にはない難しさがあることは確かです。それは従来の「教師中心の教え型授業ではない」ということでしょう。
 実は、他の教科でも子供が既習事項を活用して自力解決する「活用」の時間帯があり、主体的・対話的で深い学びの実現を目指しています。しかし、全体としては教師のリードで問題解決的に学習させられています。先生は学習のめあてや課題、学習計画を提示し、学習活動を説明し指示して、できているかを評価するといった「与えて、させて、見回る」指導です。
 他の教科には1時間ごとに身につける知識・技能が目標にあるので、それを効率的にこなさなくてはなりません。さもなければ1年間の教育課程を終えることができないからです。

 生活科・総合はいわばその逆です。生活科は9つの内容を2年間で扱い、学校や地域の実態に応じて弾力的に内容を構成できます。総合の内容は学校が選択します。したがってじっくりと取り組める単元構成ができます。
 そこで「聞いて、助けて、任せて、見守る」学習支援を中心にした指導の構えをとることができます。
 生活科では体験的な学習が中心であり「何をやりたいか、どのようにやりたいか、どれくらいの時間が必要か、どのような仲間でやるか」を子供から聞き出します。それに助言しながら子供が自分たちで決めていくようにします。
 総合は横断的・総合的な学習、探究的な学習、協働的な学習であり「何を知りたいか・追究するか、どんな方法で取り組むか、どんな計画で取り組むか、どんなチームにするか」などを自分たちで相談して決めます。教師はこれらが実現するように助け、子供たちの取組に任せ、見守るようにします。
 任せるとは手出し口出ししないで、求められたときに助言する。見守るとは活動を評価し、次の活動に向けた支援を考えたり、危険なことなど状況に応じて指導の手を伸ばしたり助言したりすることです。

 ほとんどの先生は、こうした「聞いて、助けて、任せて、見守る」学習支援はすぐにはできません。日本の先生は「世界に冠たる一斉授業の名人」でありそれが延々と受け継がれてきました。どうしても教えようとする、指示し説明してやらせようとする癖が出ます。したがって子供は受け身になり、主体性は育たない結果に陥ることになります。
 ここから抜け出て脱皮する、この学習支援ができるようになるのに校内研修を通してみんなで取り組んで3年かかります。3年ほどすると先生のこの構えが確立し支援者になり、ファシリテーターになります。
 すると子供が自分からやる、自分たちで取り組む姿に変わってくる。いや、本来、子供は主体性を発揮する存在なのです。それが受け身に閉じ込められていただけで、それをはずせば子供は自分たちでやれる存在なのです。

 今後、「個別最適な学び・協働的な学びの一体的な充実」が一層人口に膾炙されるでしょう。自分の学びを自ら調整し深める学び、友達と力を合わせ学びを広げ深める学び、これが最も実現できるのが、生活科・総合的な学習の時間なのです。改めて本気で学び取り組んでみませんか。子供が育っていくのが目に見えます。事例はたくさん報告されています。その成果は、他の教科等の指導にも生かされます。チャレンジしてください。


教育調査研究所研究部長 寺崎千秋

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