Vol.36:知識の確認と更改

  TVでアナウンサーが「豊富な経験の中で得られた『けいけんち』なのね」と解説し、字幕で「経験値」と流れた。
 「えっ! 『経験知』ではないの?」と疑った。経験の中から得られた知見で、「経験知」だと記憶し、何十年も信じてきたからだ。
 すぐに広辞苑と電子辞書を引き、Web検索をした。「経験値」は「これまでの経験から推測して得られる値」と解説されていたが、「経験知」はなかった。我がことながら、曖昧な記憶に少々呆れた次第である。

 後日、新聞のコラムで、「浮世」が、読み方によって意味が異なるということを知った。これでも、我が知識の不確かさを思い知らされた。
 「うきよ」と読むときは、仏教の「憂き世」、漢語の「浮世」を表し、「無常の世、生きることの苦しい世、この世の中、世間、人生」と解説されていた。
 一方、「ふせい」と読むときは、「はかなきこの世」、李白の「浮世(ふせい)夢のごとし」と、「人生ははかない」という意味の使用例が紹介されていた。「ふせい」を、「不正」に直結させてしまった浅はかさ(知識の浅さ)を恥ずかしく思った次第である。

 「知識は古くなり、常に更新され続ける」ということは、『知識』としては知っていたが、事実として起こりうるということをわかっていなかったのである。
 私のように、いったん覚えた知識や、その時理解した狭い意味を信じて疑わず、これを根拠に考え、判断し、表現し続けていたら、大きな間違いを起こすことになりかねない。

 今後は、暇のあるときには、ときどき我が知識を確認する、いや新しいことがつけ加わっていないか、楽しみながら確認してみようと思う。

 自分のことはさておき、生意気なことをいうようで恐縮であるが(恥ずかしいが)、その後の研究によって歴史的事実が変わることもあるくらいなので、授業の中でもこのことを意識して、子どもたちを指導していただきたいと、先生方にお願いしたい。

 ついでに、ちょっと生意気なことをいわせてもらうと、国家の大統領・主席・総書記・総理大臣、企業のトップが、驕溢な知識の下で、思考し、判断し、決行したら、恐ろしいことになり、国民・庶民や消費者の「普通の生活と平和」を脅かすことになる。どうぞ、知識の確認と更改を常に進め、リーダーにふさわしい誰もが納得できる政治と事業を進めていただきたいと切望する。

(教育調査研究所 小島 宏

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