Vol.57:本当の勉強へ向かった高校生の心の旅
●はじめに―心の旅を書こうと思った私
高校を卒業した今、これまでの私の心の旅について書きます。
私はかなり最近まで自分の心や性格、特徴などについて言語化することをしていませんでした。しかし、高校に入ってさまざまな活動に挑戦し、経験し、感じていくうちに言語化して客観視してみることで、自分を深く理解することの大切さやおもしろさに気づきました。
私は文を書いたりすることが特別得意なわけではないので、自分の心について十分に書き表せていない部分もあるし、かなり窮屈な考えをしているところもあるので、正しいとか素晴らしいという基準には当てはまらない部分があると思いますが、温かい目で読んでいただけると嬉しいです。
私の心の旅が、私と同じように悩みながらも前を向こうとしている同世代の背中を少しでも押せれば幸いです。
●自信を失っていった高校入学前の私
私は小さいときからかなり真面目な性格でした。そのため小学校では教わることは絶対守り、できるとよいと言われたことは何でもできるように努力していました。なにか他人よりできると先生や親に褒めてもらえることが嬉しくて、がんばっていたのを思い出します。
そんなこんなで小学校を卒業し、中学校に入学しました。中学校ともなるとやはり高校受験という壁があるので、テストの点数を取ることの重要性が高くなり、テストごとに校内順位というものが出されるようになりました。順位が高いほうが将来の選択肢が広がると教わるし、もちろん順位は高いほうが素晴らしいことです。そのため、当時はテストの点数が取れるように取り組んでいました。
その時の自分のがんばりで現在の高校に入学して、たくさんの大切な仲間に出会い多くのことに挑戦できたため、自分の努力に誇りをもっているし、感謝もしています。ただ同時に、学力という一つの物差しで人を測る世界にいるように感じ、テストの点数や順位に自分の価値を置き、他人と自分を比較し、自信をもてなくなっている自分もいました。
●劣等感に向き合い、課外活動に挑戦した私
高校に入学してからは、当たり前ですが自分よりも勉強ができる人は中学よりもたくさんいるので、学力というもので自分を見たときに自分の無力感や褒められない立場にいることへの劣等感をこれでもかというほどに感じ、よりいっそう自信をもてなくなっていきました。
もともと自己肯定感が低く完璧主義なタイプだったので、学力における劣等感が他の部分にも伝染し、自分の存在意義が感じられませんでした。ここまで深刻に考える人は少ないかもしれないですが、相対的なもので自分を測り他人と自分を比較してしまっていた私は、他人より勝る部分がなければ自分に価値を見いだすことができなくなっていました。
そんなある日、学校で行われたボストンスタディプログラムの説明会に参加しました。ボストンブリッジというグローバル教育社が指導するそのプログラムでは、自分の夢についての発表や多くの人生の先輩方にお話を聞ける機会がありました。
またボストンスタディプログラムに参加した先輩の声の中に「自分を変えられた」というものがあり、自分も変われるかもしれないと思い、ボストンスタディプログラムに参加してみることにしました。
私は、このプログラムを通してポジティブが大事だと気づきました。それは、多くの知識や経験をもった方々の考え方や価値観に触れて、そうあることが、輝く自分や身の回りの良い環境、人間関係を作るとわかったからです。その気づきによって自分の考え方をいい方向に変えることができました。
はじめ私は、魅力ある人になりたい、自分が好きな自分になりたい、と思っていましたが、まず今の自分を受け入れてどんな自分も好きでいる、そのうえでもっと好きな自分になる、ということが私の思う魅力ある人になる方法だとわかりました。今の自分をさまざまな面から自分自身で肯定できるようになった瞬間でした。
加えて、今の自分の性格や特徴に合わせて物事の見方や考え方や取り組み方を工夫しつつ、より魅力のある人になるためにたくさんの知識を取り入れたり、積極的に挑戦したり、得意なことをもつ努力をするようになりました。
ボストンスタディプログラムの修了式
●広い世界へ目を向けることができた私
ボストンスタディプログラムでの気づきから、多くのことに挑戦するようになりました。
挑戦の一つは、「カンボジア井戸プロジェクト」の代表メンバーになりカンボジアに渡航したことです。「カンボジア井戸プロジェクト」とは、カンボジアの清潔な水源がない地域に井戸を届ける私の学校のボランティア団体です。
ふだんはバザー等で、井戸を贈るための資金集めや、カンボジアの現状や私たちの活動について多くの人に知ってもらうための活動をしていますが、最終的には実際にカンボジアに渡航して井戸を掘りました。
カンボジアの街並み、遺跡からみる文化や宗教、無邪気に必死に今日を生きる人々の顔、温かい雰囲気、それらの裏にある歴史など、私が今まで触れてこなかった本当に多くのことに触れて刺激を受けました。私が引きこもっていた小さな世界から、広い世界に目を向けることができました。
カンボジアに行って勉強についても学ぶことがたくさんありました。カンボジアで私が出会った人たちは、誰かと競うわけでも偏差値のよい大学に入るためでもなく、ただ自分のために自分の将来のために一生懸命勉強しているのだなと感じました。私は他人と比べて落ち込んで、勉強=つらいことになっていた部分がありました。
もちろんカンボジアと日本では多くの面で環境は異なるし、教育を受けるハードルもかなり異なるので同じ土俵に立って物事を考えることはできませんが、私は本来の勉強がもつ価値やもつべき姿勢を教えてもらった気がします。
カンボジアにおいて、掘った井戸とメンバーとともに
●たくさんの挑戦から私の将来の夢を描くことができた私
カンボジアでの経験から、世界の多くの人と関わり、たくさんの笑顔を生む仕事がしたいと思うようになりました。それがどんな形で実現できるかはまだはっきりと描けてはいませんが、そういった指針がもてただけでも私の中ではとても大きな一歩を踏み出すことができたと感じています。
そして、ボストンスタディプログラムや「カンボジア井戸プロジェクト」など高校でのさまざまな経験から得た学びを生かして、他人軸ではなく自分自身のために勉強し、夢を叶えるための第一志望の大学に合格することができました。
これからも、夢を追えることに大いに感謝しながら、自分の視野を広げる学びに周りの人と協働しながらたくさん挑戦していけるよう頑張っていきたいと思います。
●おわりに 日本の教育に関しての希望を―学力から自由で多様な夢を育む教育へ
今の学校では、受験に向けた受け身の勉強をして、その点において個人が評価されることが多いと感じます。しかし本当に大切な学びは、今の自分をさまざまな面から自分自身で肯定して、自分の性格や特徴に合わせて物事の見方や考え方や取り組み方を工夫しつつ、より魅力のある人になるためにたくさんの知識を取り入れたり、積極的に挑戦したり、得意なことをもつ努力を主体的にやり続けることです。深みをもち、成長し続ける人になるための土台づくりの教育も、高校生に必要なことだと思います。
「理解できる範囲内のものしかよいとされず、それ以外は否定される」教育や、「個性を他人より秀でたものや尖ったものとして押しつけ、そのようなものをもたない人を個性的ではないとして、傷つけたり劣等感をもたせたりする」ような教育ではありません。
大学入試では、学力の基準だけではなくさまざまな経験や個性を評価できるような選抜方法をより多く採用してほしいと思います。それにより、大学に多様な学生が集まるきっかけになるのではないでしょうか。
そして大学は、そうした学生の夢を受け入れ、その夢に向かって努力する学生のための多様なプログラムを与える柔軟で多様性に富んだ場所となり、学生は継続的な専門的および人間的な成長を実現することができます。それは、入学テストの点数で選抜する方法では、実現できないことだと思います。
〈謝辞〉
本稿を書くにあたり、ボストンブリッジの蝦名氏から有意義な助言をいただきました。ここにお礼を申し上げます。
(大学1年生 りんか)